栃木県医師会温泉研究所附属「塩原病院」

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痛みの話

宝住与一(前理事長・前日本医師会副会長)

 新年にあたり栃木県柔道整復師会の皆さん新年お目出とうございます。 昨年は、特に栃木県医療推進協議会の署名運動に大変ご協力を頂き有難うございました。 私は整形外科ですので、患者の為にした時は痛みついては何時も悩まされております。 今年は、常日頃より私が一寸気にしている痛みについて書いて新年の挨拶に代えたいと思います。強い痛みと弱い痛みの差は如何してあるのだろうか、という疑問を医学生の時に教わった頃から、納得出来る説明はありませんでした。それは神経細胞の反応の多寡で、痛みの強い弱いというものが決まるというもので、痛みにはそれで説明出来ない事が多すぎるからであります。患者さんの訴えが、皆一様に痛みさえとれれば良い。極端な場合には、足をもいでも痛みがとれれば良いというような事もあります。しかし、このことは簡単にはいきません。大分前、アフリカから来ました南アフリカのサバンナに住むピグミー人が日本に来てね、一番持って帰りたいものは何かと聞いたら、部屋の水道の栓を指差した。いつでも水が水道栓を開くだけで沢山出てくる。こんな便利なものは無いと思ったに違いない。その後に隠れている部分、貯水池や水道管等の設備については、理解が及ばなかったのだと思います。それと同じで、痛み以外の部分はそのままで痛みをとる方法はありません。多くの場合は、何らかの処置をして経過観察していけば、大部分は患者さんが諦めるか、我慢できる範囲になり、収まるか小康状態になると思います。

 そうならない時、例外はありますが、何らかの重篤な病気が隠れいてる場合が多いように思います。また、極端な場合は前述した痛みさえとれれば足をもいでくれというような痛みについては、精神的な要因が大きいと思われます。一応に精神的な要因がある場合には、例外なく訴えが大袈裟であります。 痛みの定義は、大変難しいですが、私の調べた本には、「痛み」とは、組織の損傷を引き起こす、或いは損傷を引き起こす可能性のある時に生じる「不快な感覚」や「不快な情動を伴う体験」、或いはそのような損傷が生じているように表現される「不快いな感覚」や「不快な情動を伴う体験」である、とある。何のことか、何を言っているのか大変分かり難いと思います。 私は痛みとは体が、今の状態(痛みを感じている状態)を続けることは体にとって良くないので、止めて欲しいという本人への指令と思っております。その証拠に「先天性無痛症」という病気?先天的に痛みを感じない人がいて体を守る機構の一つが欠落しているため、長生き出来ないようです。例外はありますが、体にとって重大な影響を及ぼす痛みの時は大変不安を持ちます。そうでない時は、痛みは訴えますが(本人は大変ですが‥)、周囲はあまり心配しない場合が多い。だから、緊急に手術的に処置が必要なった場合、手術は絶対いやだと言っている人でも例外はありますが、痛みもさることながら、このままでは死んじまうという恐怖感から、一もなく二もなく手術を承知する場合が多いようです。 最後に私が面白いと感じた痛みに関することを書いて筆を置きたいと思います。特に痛みについて、どうして強い痛み、弱い痛みを感じるのか、しつこいようですが、もう一度書きますと、その説明は、一つ一つの痛みを感じる受容体は、一様に同じ反応するのにどうしてという疑問は、強い時は、多くの痛覚が反応し、痛みが弱い時は少ししか反応しない。痛覚の反応の多い少ないで痛みの強さは決まると聞いていますが、一つ一つの痛覚の反応の強さは同じですので、その反応の多寡で強い痛み、弱い痛みというのは、私は納得しがたい。また、氷水を食べると頭が痛くなるのは、正常で誰でも痛くなる。納得しがたい人は、氷水を食べて試してください。背中が痛い時に心臓が悪い。腰が痛い時に胃が悪いなど聞いたことがあると思いますが、これは関連痛といいます。神経の刺激は、それに反応して、痛いともとの場所に伝える際、神経の分かれ道で別の方向に刺激が伝わって本来の違う所に痛みが伝わる現象を言います。いつも同じ反応をするので、これは大変病気の診断に役立ちます。

 又、最近出版されて話題になっている生命科学者の柳沢桂子さんの"生きて死ぬ智慧"という中に、「般若心経」の彼女の新しい解釈があります。それは病気に苦しみ抜いた人のみの知る視点で書かれております。その結論は、あなたも私もありませんけれども、それはそこに存在するのです。(これは"デカルトの我思う、ゆえに我あり"というのと同じと思います。)物も原子の濃淡でしかありませんから、それにとらわれることはありません。一元的な世界こそが真理で、私達は錯覚を起しているのです。このように宇宙の真実に目覚めた心は、物事に執着することが無くなり何事も淡々と受け入れる事が出来るようになります。これが大釈迦様の悟られた事であると私は思います。勿論、お釈迦様が原子を考えておられたとは思いません。物事の本質を見抜いておられたのだと思います。現代科学に照らしても釈迦が如何に真実を見通していたかという事は驚くべきものであると思います。とあります。 病気の克服に、又治療に幾らかでも役立てばと思いこれを書いた次第です。

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